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145件の議事録が該当しました。

該当会議一覧(1会議3発言まで表示)

2021-05-27 第204回国会 衆議院 科学技術・イノベーション推進特別委員会 第3号

日本は一九五〇年代から一貫して南極観測を続けてきたんですが、戦後の、当時、主権を回復して間もない日本が純学術的な国際協力プロジェクト国際地球観測年、IGY南極観測参加をできた、南極条約の策定にもその当時に関わって、十二の原署名国のうちの一つとして関わることができたのは、戦前に、明治の末に南極点の到達を目指した、私、地元は秋田なんですけれども、秋田県出身の白瀬矗中尉の功績が大きいというふうに思います

緑川貴士

2018-11-15 第197回国会 参議院 文教科学委員会 第2号

今御指摘のあったとおり、南極地域観測は大変長い歴史を持っておりまして、我が国の戦後復興のさなか、一九五七年から一九五八年に計画された国際地球観測年への参加を機に開始をされたところであります。今日、科学の振興や科学活動による国際協調のみならず、地球規模での環境変動の解明に向けて、その意義はますます高まっていると認識をいたしております。  

柴山昌彦

2016-02-25 第190回国会 衆議院 予算委員会第四分科会 第1号

また、研究観測も、一九五七年の国際地球観測年以降、長年にわたって実施されているところでございます。  一方、北極地域でございますが、基本的には、北極海を中心とする沿岸国の領土、領海においての研究観測となっております。  科学的な枠組みも、一九九〇年に国際北極科学委員会、IASCが設立されるなど、近年、ようやく科学的な活動が可能となった状況にございます。  

田中正朗

2005-03-15 第162回国会 参議院 経済産業委員会 第3号

ちょうど五十年前、一九五六年から五七年にかけて、昭和三十一年から二年にかけて、国際地球観測年という、これは国連が声を掛けて、希望する国が十一か国、南極大陸調査隊を派遣して、観測隊を派遣して一斉に地球全体のことを南極という象徴的なところで調べようということがあって、実は日本参加したわけでありますが、その第一次南極観測隊に私は報道隊員という形で参加をいたしました。

田英夫

2004-11-17 第161回国会 参議院 憲法調査会 第4号

その結果として、実は南極だけについて言えば、最初観測参加した、それは国際地球観測年という国連の計画の中に加わった十一か国が、日本を含めて、南極条約というのを作りました。今やそれは百数十か国の加盟を得て守られています。  一言で言えば、一つは、南極の自然はすべて守らなければならない。したがって、アザラシやペンギンのようなものを含めて、生物は一切捕獲しても殺してもいけないと。

田英夫

1998-03-11 第142回国会 衆議院 科学技術委員会 第2号

気象庁オゾン観測を始めましたのは、昭和三十二年と三年にまたがって国際的に計画されました国際地球観測年これは地球科学に関します全世界的な、総合的な大きな観測プログラムでございますけれども、これに参加すべく、昭和三十二年に、現在のつくばに、当時高層気象台というのがございましたけれども、そこで始めました。

中村匡善

1997-04-02 第140回国会 参議院 環境特別委員会 第5号

要するに、学術会議会長から内閣総理大臣あて国際地球観測年における南極地域観測日本参加したいという要請があったので、閣議決定を経た上で始まったと。  どういう目的で、どういう予算措置で、またほかの省庁の分担はどうだと。観測隊任務はどういう任務か、定常観測それから研究観測ですか。  

山下栄一

1997-04-02 第140回国会 参議院 環境特別委員会 第5号

説明員岩本渉君) 地震につきましてでございますが、我が国南極観測開始契機となりました国際地球観測年一九五七年から八年のころは、南極大陸では地震は起こらないというのが定説だったわけでございます。その後、昭和四十五年に昭和基地で越冬した日本人の研究者によって、南極大陸内に地震が起こっていることが初めて確かめられました。

岩本渉

1997-03-17 第140回国会 参議院 外務委員会 第4号

若干経験を踏まえて申し上げると、一九五七年という年は、昭和三十二年ですが、国際地球観測年、IGYと言っておりますが、インターナショナルジオフィジカルイヤー、この年に、特に南極大陸地球物理学的に非常に未知世界にあるので国際的に協力して研究調査をしよう、こういうことになったときに、まだ戦後十年ちょっとですが、日本はこれに観測隊を送る、参加をしようということになりました。

田英夫

1992-03-06 第123回国会 参議院 科学技術特別委員会 第3号

ことし、一九九二年はコロンブスのアメリカ大陸の発見から五百年、そしてまた国際地球観測年及びスプートニク一号の打ち上げから三十五年に当たります。そういうことで新たな宇宙航海時代、こういうことをこれから目指していこう、こういうことで各国が賛同いたしまして、一九八九年の国連総会でございますが、そこで支捺を得て決まったものでございます。  

井田勝久

1991-03-26 第120回国会 参議院 商工委員会 第3号

また、これらの数値につきましては、国際的には世界気象機関、WMOでございますが、これによりまして既に一九五七年から五八年の国際地球観測年これでオゾン観測を行うように加盟各国気象機関要請がされております。これによりまして全地球的なオゾン観測組織ができております。この全球オゾン観測組織のもとに、オゾン観測我が国を含めて世界で現在百四十カ所実施されております。

古市圭治

1991-03-08 第120回国会 衆議院 外務委員会 第6号

オゾン層観測に関しましては、古くから行われておりまして、一九五七年、五八年にかけまして国際地球観測年というのがございましたけれども、その当時に世界気象機関の主唱に基づきまして全地球オゾン観測組織というものが組織されまして、これを受けまして、我が国では気象庁国内地域、それから南極昭和基地でのオゾン層全量観測というのを早くから手がけてまいっております。

浅野楢悦

1988-04-01 第112回国会 衆議院 外務委員会 第5号

気象庁昭和三十二年の国際地球観測年契機といたしまして、日本国内札幌筑波鹿児島及び那覇の四カ所並びに南極昭和基地において継続してオゾン層観測を実施しております。  まず国内の四地点の状況について申し上げますと、オゾン層は季節的な変動が大きく、その変動の中で年平均値は不規則な増減を繰り返し、おおむね横ばいの状態にあります。

小嶋修

1987-02-18 第108回国会 参議院 外交・総合安全保障に関する調査会委員打合会 第1号

実は地球観測年というのがありましたのが一九五八年でございますが、この年に二酸化炭素の定常観測ということが始まりまして、その一つのアウトプットがそこに出ている例でございます。  これは数字は三一五ppm、つまり百万分の三百十五から、そこに出ている数字ですと一九八〇年ぐらいまでの約三三〇から四〇ぐらいの数字までが出ております。

茅陽一

1981-04-08 第94回国会 衆議院 外務委員会 第7号

矢田部政府委員 南極条約は、先ほど御説明がございましたように、地球観測年活動一環といたしまして南極地域観測参加した十二カ国が集まってまずつくった条約でございまして、その原締約国であるところの十二カ国はアルゼンチン、オーストラリア、ベルギー、チリ、フランス、日本、ニュージーランド、ノルウェー、南ア、ソ連、イギリス、アメリカの十二カ国でございますが、これが、協議国会議を構成しておるわけでございます

矢田部厚彦

1981-04-07 第94回国会 参議院 文教委員会 第5号

この東京大学付置宇宙航空研究所につきましては、御存じのように、昭和二十年代終わりであったと思いますが、いわゆるペンシルロケットから始まりまして、その後国際地球観測年におきましてロケットの打ち上げ等を行い、順次宇宙科学を発展さしてまいりまして、現在科学衛星を打ち上げ、あるいは大気球による観測、その他一般の観測用ロケットによる観測等宇宙科学の推進をしてまいっております。

松浦泰次郎

1981-03-25 第94回国会 衆議院 文教委員会 第6号

それから三十三年の国際地球観測年にカッパ6型のロケットで初参加をいたしております。それから三十九年にはラムダロケットで高度一千キロメートルまで到達するというような成果を上げておりますが、いま中心になっております科学衛星につきましては、四十五年の二月に試験衛星に「おおすみ」を上げまして、以後、本年二月二十一日の第七号科学衛星まで十二個の科学衛星を成功裏に打ち上げております。  

松浦泰次郎

1981-03-25 第94回国会 衆議院 文教委員会 第6号

ただ、ロケット関係につきましては、御存じのように東大の宇宙航空研究所、これは前身の時代でございますけれども、いわゆるペンシルロケットからロケット研究を始めまして、それから国際地球観測年に当たりまして、ロケットによる観測を始めるというようなことから発展しまして今日に至っている次第でございます。  

松浦泰次郎

1981-03-18 第94回国会 衆議院 文教委員会 第4号

最初に、今度新設を予定いたしております宇宙科学研究所関係の沿革についてちょっと申し上げたいのでございますが、わが国における宇宙研究開発は、昭和三十二年の国際地球観測年における観測事業一環として東京大学開始されました。その後、昭和三十九年度に全国の共同利用研究所としまして東京大学宇宙航空研究所が設置されました。

松浦泰次郎